由緒
日吉神社について
日吉神社 拝殿
日吉神社は、延暦(782-806)年間、時の征夷大将軍、坂上田村麻呂が奥州討伐の途、近江国(現在の滋賀県)の日吉大社より当地山王舘(さんのうだて)に分祀して祈祷した事が始まりと伝わっています。
日吉神社がある山王舘は、1588年に伊達政宗軍と蘆名義広・相馬義胤連合軍との間で戦われた「郡山合戦」で、伊達軍の陣の一つが置かれました。この合戦で政宗を守って討死したとされる安積郡の武将・伊東肥前守重信を称える碑が、仙台藩第4代藩主伊達綱村によって合戦地に建てられました。現在は日吉神社境内に移され、郡山市の指定文化財となっています。
太々神楽とは
日吉神社 神楽殿
神楽(かぐら)は、神社の祭礼で神様に捧げる、舞(まい)と楽(がく)による神事の総称です。
太々神楽(だいだいかぐら)は、神楽の中でも土地土地の神社や民衆に伝わる、五穀豊穣を祈念したり、神話の内容を表す民俗芸能の一つです。舞や楽は地域や神社ごとに伝承され、様々な様式で行われています。
日吉神社の太々神楽
磐戸舞の様子
日吉神社の太々神楽は江戸時代より奉納されてきました。
旧安積郡(あさかぐん)に共通する様式を受け継いでおり、当楽人会は、県内各地で神楽の指導をした伊藤恒雄氏(1940-2017)から1980年代より指南を受け、太刀(たち)や扇(おうぎ)、古事記に登場する磐戸(いわと)開きや諏訪(すわ)鹿島(かしま)の伝説など、現在15の舞と14の楽を継承しています。
平成30年(2018年)までは拝殿にて神楽が奉納されていましたが、令和元年(2019年)に神楽殿が建立され、以降、神楽殿に於いて下記の奉納神楽を行なっています。
奉納神楽
春季例大祭 奉納神楽
日吉神社の春季例大祭に合わせ、神楽殿にて奉納されます。
例年10数座の舞が行われます。
【日時】
毎年4月10日午後 3〜4時間程度 開始時間はお問い合わせください。
歳旦祭 奉納神楽
【日時】
毎年1月1日 午前0時30分頃から 30分程度。元日の零時から本殿で行われる歳旦祭終了後に神楽殿にて奉納されます。
舞と楽
舞
清祓(きよはらい)
奉納の初めに場所を清め、神様をお迎えするための舞です。
天地開闢(てんちかいびゃく)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が一緒に日本の島々を生み出し、日本の国を創る様子を表した舞です。
四方堅(しほうがため)
四方(東西南北)と中央(地)および丑寅(うしとら)の方(鬼門)に弓を射て、世界を安定させる様子を表した舞です。
舞の最後に放つ矢を拾った人には、その年の御利益があるとされます。長いひげを生やした勇壮な面を使用します。
玉鉾(たまほこ)
国津神(くにつかみ)の猿田彦(さるたひこ)が天孫(邇邇芸命:ニニギのミコト)を道案内をする様子を表した舞です。猿田彦は伊勢に住む神で、長身で長い鼻を持ち、照り輝く目をしているとされ、使用する面にも表れています。
太刀(たち)
太刀(たち)を用い雄壮な舞で、悪霊や疫病を祓います。
扇(おうぎ)
翁(おきな)の面を付け、扇を持つ優雅な舞です。長寿の翁が人々の安寧を祈る舞とされています。
四神祭(しじんさい)
木神、金神、火神、水神の四神に扮した四人の楽人が面をつけず、幣束と鈴を持って、五穀豊穣や無病息災を祈り、華やかに舞います。
思兼(おもいかね)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴に驚き、天磐屋(あまのいわや)に引きこもり、大岩で入り口を閉ざす(磐戸)と、世界が暗闇に閉ざされてしまいました。暗闇の世界では作物が育たず、困った八百万の神々は天照大御神に出てきてもらうための方策を知恵の神の思兼神に尋ねました。思兼神は夜明けを告げる常世の長鳴き鳥を鳴かせ、磐戸舞で演じられる内容を考案しました。
翁の面の思兼神が常世の長鳴き鳥を連れている様子を表した舞です。
燈明(とうみょう)
玉祖命(たまのおやのみこと)が天照大御神を天の岩屋から招き出す祭のために八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作ったことから
神楽では、真っ暗な世界の中で、八百万の神々が天磐屋を探す様子を表しています。
磐戸(いわと)
神々は思兼神の助言の下、天児屋命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだまのみこと)が鏡を用意し、怪力の神、天手力男命(たぢからおのみこと)が岩の脇に隠れ潜みました。天宇受賣命(あめのうずめのみこと)は磐戸の前で踊り、神々は大いに笑い囃し立てました。天照大御神は外の大騒ぎを訝り、少しだけ磐戸を開けて、「なぜ嬉しそうにしているのか」と問いました。天宇受賣命は「貴方様より貴い神が現れたので、喜んでいるのです」と答え、そこに天児屋命と布刀玉命が鏡を差し出すと、鏡に映った自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神は、もっとよく姿を見ようとさらに岩を開けました。そこで、すかさず天手力男神が天照大御神の手を取り、天磐屋の外に連れ出すと、世界が明るくなりました。
神楽の中では、まず天児屋命と天太玉命が磐戸の場所を探しに、暗がりの中を手探りで進みます。次に天手力男命が登場し、天児屋命と天太玉命は磐戸の場所を教えます。天手力男命は磐戸の前に来ると、力まかせに大岩を動かそうとしますが、びくともせず、逆に跳ね返されて力を失ってしまいます。そこで天児屋命と天太玉命がまじないで天手力男命の力を回復させ、天手力男命は再度岩を動かそうとしますが、どうにもうまくいきません。そこに天宇受賣命が現れて踊りだし、神々はそれを囃し立てることで天照大御神の関心を誘います。神々の大騒ぎに磐戸が少し空いたところで、天手力男命が一気に岩を抱え上げ、遠くへ放り投げると、天照大御神が姿を現して世界が明るさを取り戻します。その後、天手力男命は天児屋命と天太玉命に礼を言い、帰り道を案内し、自らも退場して舞は終わります。
事代(ことしろ)
この舞と次に続く「諏訪鹿島」は、国譲りの神話を表す舞です。天照大御神は大国主命が支配する地上(葦原中国)を天津神のものにしようと、鹿島神(建御雷神:タケミカヅチノカミ)を派遣します。国譲りを迫る鹿島神に対して、大国主命(オオクニヌシノミコト)は自分の息子たちに是非を委ねます。舞の中では、長男の事代主が猿を連れてのんびり釣りをしているところに鹿島神がやってきて、事代主は釣った鯛を鹿島神に献上しようとしますが、鹿島神は強引に事代主を追い払ってしまいます。
諏訪鹿島(すわかしま)
事代主が追い払われた後、事代主の弟の諏訪神(建御名方神:タケミナカタノカミ)が鹿島神に力比べを申し入れます。諏訪神は大岩を持って威嚇し、剣を持った鹿島神と闘いますが、最後は降参し、地上の支配権は天津神に移ります。
天狐(てんこ)
稲荷大神の遣いで田畑を守る狐の舞です。
大散供(だいさんごう)
衣食住をはじめ、五穀を守る伊勢外宮の豊受大神を祀る舞です。
泰平(たいへい)
天下の平和と安寧、家内安全、豊年満作を祈る、神楽の最後に行われる舞です。
楽
能(のう)
四つ(よつ)
五つ(いつつ)
七つ(ななつ)
御神楽(みかぐら)
小松(こまつ)
乱上(らんじょう)
燈明(とうみょう)
天狐(てんこ)
五神ばやし(ごじんばやし)
大延(おおのべ)
くずし
矢車(やぐるま)
岡崎(おかざき)